<– 前の記事:「小羊うるちゃん物語」part 5-番外編 主による韓国への旅
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「小羊うるちゃん物語」Part1~Part5に書いたようなところを通って、大きな傷を抱えて飛び込んだB教会で2年の養いを受けました。
B教会へ行ったいきさつを書くと…、
A教会を去るとはまだ夢にも思っていなかった頃、韓国旅行から帰って間もない1996年10月18日に、B教会の支部の日曜礼拝の場になっていたY会館の前を偶然通ったのがきっかけでした。その時、奥のほうに並んでいる一つの看板が目の端にとまったのです。 近くに教会ができたんだとうれしく思ったことを覚えています。12月になって大きな傷を受け、教会をどうすればよいのか祈った時に、そのことを思い出し、思い切ってB教会に電話してみました。その時、Bハイツで家庭集会が開かれていることと、Bハイツに住んでいる信徒でなごみちゃんと同じ学年の女の子がいることを聞きました(それが後出のマーサさんでした)。Bハイツについては、この地に越してきてからずっと、主の示しの中で祈ってきたことがありました。祈りで、この建物の上に幻を見たことがあったのでした。それで、このようなことになったのも、神の導きと信じることができたのです。
※ 下線部の記事
それでも、A教会とは全く違う教派のための迷いがあり(A教会などでは福音派などの力のなさを聞いていたからでした)、1997年1月5日(日)、都心部にある本教会に家族で訪れてみました。その集会の様子は、A教会とまったく違ったものでした。静かでまじめで型にはまった厳粛な礼拝。宗教をしたく信仰を持ったわけではなかったうるちゃんは、「主よ、間違えましたか?」と心で問いました。そのとき、いくつかの聖歌が歌われたのです。帰省先のW教会での神学生による元旦礼拝で歌われた聖歌と妙にすべて一致しているのでした(W教会では、これまで聖歌を歌ったのを聞いたことがなかったのですが、たまたま、W宣教師が留守で、神学生が担当していたため数曲歌ったものでした)。B主任牧師のメッセージを聞いていても、文語聖書を使っているということもあり、固く心に入ってこず、「あ~、うるの語りかけって一体…」と思っていると、「先代のB0牧師が戦時中の迫害下で三年半投獄された。一番長く投獄されたのは日本で二人だけだった。」という内容の証をメッセージの終わりの頃になされました。落ち着ける教会を探すにあたって、聖書を愛する深い信仰を求めていたうるちゃんは、「迫害にあっても信仰に耐えられる兄弟姉妹のいる教会へ」と祈っていて、このメッセージの内容に祈りの応答を見たのでした。「迫害に耐えうる教会」「霊とまことの礼拝者のいる教会」その2つを具体的な教会への願いに入れていたのです。当時のうるちゃんは、「世界中でひとりになっても主に従いたい。どうせ死ぬなら、主のために死にたい(一度の人生、人間はいつかはこの世を去る)。迫害にあって死ぬのもよい(ただし苦しまずに一瞬で死にたい)。」と思っていました。A教会で聞くイエスさまは私が知っているイエスさまと、何か違うように感じていたうるちゃんは、どこかで信仰による孤独を感じていたのでした。
「迫害に耐えるかどうかは、起こってみないとわからないのだよ。肉でだって耐えうることがある。戦争中、迫害に耐えたのはキリスト信仰だけではなく、異端や他の宗教の中にだっていたのだよ。」「霊とまことの礼拝者というのは個人個人の心のあり方であって、教会単位ではないのだよ。」信仰による孤独を感じていたうるちゃんが教会への導きとして2つの祈りにあげていた事柄によって、主は、外的要因では決して信仰は量れないのだということをこのB教会にいた二年間で教えてくださいました。主はまことに真実で正しい方。このようなつたない祈りにも答えてくださって、益としてくださったのです。確かに迫害に耐えた教会でした。そして、まことの礼拝の心を持つマーサさんという誠実な友をも与えてくださいました。このように、祈りには応えてくださったのですが、このB教会で、うるちゃんは心が強くなる訓練を受けることになるのです。 つづく・・・
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【うるちゃんと教会】
☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
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